猫の黒歴史
中世時代の猫迫害
魔女の手先として処刑されていくうち、次第に迫害の度合いがエスカレート。四旬節(イースター前の準備期間)は猫を焚火に投げ込んでよいとされたり、最後には単に娯楽のために猫を殺すところまで発展してしまいました。
古代エジプト
光る瞳に神を感じた古代エジプト人のイマジネーション
古代エジプトの人々は、その光る瞳の中に「太陽神ラー」が宿っていると考え、猫を神の化身として崇めました。猫は暗闇でも物を見ることが出来るので、猫の瞳が太陽の回転に従って変化し、夜になると太陽が猫の瞳を通して下界を見ているのだと考えられたのです。
エジプトの猫崇拝は長く続きましたが、紀元前30年、クレオパトラ艦隊の敗北によってローマの支配下に入ると状況は一転。それでも神格化され、国外持ち出しが禁止されていた猫も、ローマ人によってヨーロッパへ。新しい地で猫は、穀物をネズミから守る家畜としての役割を担うことに。
ペスト
ネズミを捕らえる猫の不在とペスト大流行の関係
魔女狩りの嵐が吹き荒れていた16世紀と17世紀、ヨーロッパでペストが大流行しました。先述したように、世の中に起きる悪いことはすべて魔女が引き起こしているとかんがえられていた時代。ペストも魔女のせいだとされ、さらなる虐殺に向かってしまいました。抗生物質も殺鼠剤もない時代には猫こそが有効なペスト撲滅策なのですが、猫を手当たり次第に殺していたヨーロッパでは流行を食い止める術がなく、被害を大きくしたという説もあります。この頃、ヨーロッパでは英蘭戦争や三十年戦争など戦争も続き、人口が激減。「17世紀の危機」の時代と呼ばれました。
宗教画
裏切りのユダヤを表現。絵画の世界でも不遇だった猫
『最後の晩餐』は多くの画家が手がけており、いくつもの作品が存在します。その中で、15〜16世紀に描かれた作品に、猫、が描かれているものがあり、どの猫も無表情だったり、眉間にしわを寄せ、いじわるな顔をしているのです。美術の専門家はこれを「ユダがもたらす裏切りという悪いニュースを象徴している」あるいは「孤立したユダの心境を猫に託しているのでは」などと分析しています。また、猫は多産の象徴として『受胎告知』といった作品に描かれていることもあるのですが、やはりいじわるそうな顔で描かれている作品も。時代が画家にそう描かせてしまったのでしょうか。
『黒猫』
文中に出てくる「あの昔」とは中世ヨーロッパのあの時代か
エドガ・アラン・ポーの代表作『黒猫』。飼っていた黒猫を残酷な方法で殺した男が、次第に狂気に支配され、最後には、新しい飼い猫、の黒猫を殺そうとして誤って妻を殺害、壁に埋めてしまうというストーリー。猫の迫害史を探る中で「これは猫の死体を壁にぬり込んでおくと魔除けになるという中世ヨーロッパの風習をモチーフにしたのではないか」という説がありました。実際にミイラ化した猫が多くの家で見つかっている歴史的事実。そして『黒猫』にはこんな表現があるのです。
《黒猫というものがみんな魔女が姿を変えたものだという、あの昔からの世間の言い伝え》