保護猫との生活を綴ります

元野良猫を保護し、猫の多頭飼いしております。2010年、はやとちりから、保護猫との生活を始めた男の日々。あれよあれよ、と、二猫、三猫となり、2020年6月に、四猫となりました。猫との生活、猫の行動、猫の食べ物や病気、等等、保護猫との生活にて感動した事などを綴ってきます。野良猫として生を授かり、保護猫として命を全うしていく、四猫。2022年、都内に戸建て物件を購入し引っ越しをしました。2022年5月31日、五猫となりました。

【猫の歴史,文化,文学】 ペスト流行と猫

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猫はたくましく、かいがいしく、したたかにさまざまなな時代を生き抜いてきた。

 

ねこ検定で、自分自身の弱点であると認識出来た「猫の歴史等について」、調べて、備忘録として書きます。

猫の歴史

日本にペスト上陸するも、4年で終結宣言

決めては猫によるネズミ駆除

 

1894(明治27)年、中国で流行し始めたペストはあっという間に香港に。船に紛れ込んだネズミによって各地の港から港へと伝播されたのでした。

日本政府は、北里柴三郎をリーダーとする調査団を香港へ送ります。

ここで北里柴三郎はペスト菌を発見。

帰国するとすぐ、港での検疫、患者が出た場合の隔離と消毒などを網羅した「伝染病予防法」を成立させました。

1899年、ペストはついに神戸に上陸し、横浜、東京にまで拡大します。

北里柴三郎は感染が確認された地域で隔離や消毒をする一方、7項目にもわたる「猫奨励策」を出し、猫によるネズミの駆除を徹底的に推し進めました。

そうした対策が功を奏し、4年後に終結(その後小さな流行はあったが、1926年を最後に患者の報告なし)。

家住性ネズミから撲滅不可能な山野のげっ歯類に伝播するのを阻止できたのが大きかったと評価されています。

 

ペスト:ペストは、ペスト菌(Yersinia pestis)による感染症です。
歴史上何度も大規模な流行の波が人類を襲っています。
14世紀のヨーロッパの流行では、人口の3分の1以上がペストによって失われ、皮膚が黒くなる特徴的な症状から「黒死病(Black Death)」と恐れられました。

参照:国立感染症研究所サイト:ペストとは

 

北里柴三郎:日本の医学者・細菌学者・教育者・実業家。「日本の細菌学の父」として知られ、ペスト菌を発見し、また破傷風の治療法を開発するなど感染症医学の発展に貢献した。

参照:北里柴三郎の生涯|北里柴三郎記念室

 

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