ブログ2100記事目に思うこと ― 続けてきた先にあった「変わらない日常」
今回の投稿で、ブログの記事数が2100となりました。
数字として見れば、2000を超えてからさらに100本。決して少なくはない数ですが、不思議なことに、2100という数字自体には、2000記事目の時ほどの高揚感はありません。それでも、この「特別ではなさ」こそが、今の自分にとっては一番しっくり来ています。
2000記事目では、これまでを振り返り、感謝し、救われたのは自分だった、という想いを書きました。2100記事目の今回は、あえて振り返りすぎず、
「今、どういう気持ちでブログを書いているのか」
という現在地について、少しだけ言葉にしてみようと思います。
ブログを始めた頃と比べて、生活そのものは大きく変わりました。一軒家での暮らし、五猫との日常、日々のルーティン。時間の流れとともに、猫たちも年を重ね、家の中の空気も、少しずつ落ち着いたものになっています。
一方で、変わらないこともあります。それは、
「猫が中心にある生活」
と
「書くことで整理する」
という習慣です。
特別な出来事がなくても、猫たちの寝顔や、何気ない仕草、いつも通りの一日があるだけで、書く理由は十分にあります。
ブログを続けていると、
「ネタがなくならないですね」
と言われることがあります。
けれど実際には、特別なネタを探している感覚はほとんどありません。日常がそのまま記事になり、猫たちがそのまま主役になっているだけです。
2100記事を書いてきて感じるのは、ブログが「発信の場」であると同時に、「記録の場」になっているということです。あの時の猫の様子、当時の自分の気持ち、家の中の空気感。それらは、書いて残しておかなければ、確実に薄れていきます。
写真だけでは残らない感情や、言葉にして初めて気づく違和感もあります。ブログは、誰かに向けて書いているようでいて、実は未来の自分に向けたメモのような側面も強いのかもしれません。
また、2100記事まで続けてきて、ブログとの距離感も変わりました。
以前は、アクセス数や反応を気にする時期もありましたが、今は必要以上に振り回されることはなくなりました。読んでくれる人がいれば嬉しいし、静かな時期があっても、それはそれでいいと思えています。
猫たちとの生活は、良いことばかりではありません。体調の変化、年齢による不安、思い通りにいかないことも増えてきます。それでも、その一つ一つを受け止めながら暮らしていくしかありませんし、その過程もまた、記録していきたいと思っています。
保護猫との暮らしをテーマにしている以上、楽しい部分だけを切り取るつもりはありません。現実としての生活、悩みや迷いも含めて、等身大で残していくことが、このブログの役割だと感じています。
2100記事という数字は、通過点に過ぎません。次に区切りの良い数字が来たとしても、きっとまた、同じように猫たちは眠り、私はキーボードを打っているはずです。
特別な目標を掲げるわけでもなく、派手な宣言をするわけでもなく。ただ、今日も猫たちがいて、書きたいことがあれば書く。その積み重ねが、2100という数字になっただけなのだと思います。
このブログを読んでくださっている方がいれば、本当にありがとうございます。
長く付き合ってくださっている方も、最近たどり着いた方も、同じように感謝しています。
これからも、猫たちとの生活を軸に、日々の記録を淡々と、そして正直に綴っていくつもりです。2100記事目は、その現在地を確認するための、一つの節目として残しておこうと思います。