先日の投稿
にて触れましたが、我が家は、近々、四猫から五猫となります。
縁あって、我が家に迎え入れることになったのは、
みゃあ(娘)
です。
四猫はみな、息子なので、娘の迎え入れは初めてとなります。
今回の投稿は、そんなみゃあとの出会いを纏めます。
みゃあを元々飼っていたのは妻の母親ですので、妻に、詳細を聞いてもらって、という流れにしました。
【みゃあとの出会い】四猫から五猫へ!!我が家に、みゃあ(娘)がやってきます!!
母の記録によると、2013年の春だったそうです。
私も弟も実家を出、独居していた母。長年勤めた仕事も定年となり、もともとエネルギーの塊のような母は、その向かい先として、
「保健所から猫を引き取ろう」
と思ったそうです。
地元の保健所に行くと、
「あと数日で・・・」
という状況の猫が、檻の中に15ニャンコほどいたそうです。
その中で一番アピールが激しかったのが、
「みゃあ」
だったそうです。まだ、生後三週間ほどの小さな身体だったのに、網によじ登り、
「連れ出せ!!」
と、言わんばかりのアピールをしてきたそうです。
「まだ生きたい!」
というメッセージを感じ取った母は、「みゃあ」と一緒に保健所にきた姉妹猫だけど、檻の中ではアピールもせず、そっぽをむいていた仔を引き取ることにしたそうです。
その仔は「みゅう」と名前をつけました。
私はメス猫の扱いに慣れておらず、たまに実家に帰ってもあまり懐かれず、仲良くはなれなかったのです。
ただ、6年ほど前(2016年)、母が大病を患い緊急入院した際、深夜に地元に駆けつけ、病院で母の様子を確認し、実家に向かい、猫たちにご飯をあげ、疲れ果ててリビングで眠った私の周りを、
「お母さんがいない。どこ?」
と言うかのように、みゃあ、と、みゅう、がぐるぐる回っていて、
「あぁ、お母さんがいないことはわかるんだなぁ」
と思ったのを覚えています。
時間の流れは時として残酷で、このたび、母が加齢と疲労の蓄積で、腰椎を圧迫骨折しました。
「2ニャンコで運動会を始めると、身体を踏まれて痛く、加えて足腰が弱ってきて、駆け抜けていく2匹を避けるのにも一苦労してしまう…」
と、非常に弱気になり、2020年に同じように母の元から我が家にきた、たかんぼと仲良しだったみゃあを、引き取ってもらえないか、と打診されました。
「飼えなくなるなら飼うな」
そんなお言葉もわかります。自分もそう思います。
しかし、9年前(2013年)の母にはこの猫たちが必要だった。
そしてこの猫たちも母を必要としたのだと思います。それが生き物とのご縁です。
母はいつも、
「お母さんに何かあったら、この子達をお願いね」
と言い、それは冗談混じりにではありましたが、私とオットは、割と真剣に、
「最終的には六猫」
の覚悟でいたと思います。
今回の「みゃあ迎え入れ」に際して、
「もう1ニャンコ(みゅう)も一緒に連れてきたら?」
と提案までしてくれたオットには、感謝の気持ちでいっぱいです。
もう1ニャンコ(みゅう)は、私一人で二猫を運ぶのは大変なことや、公共交通機関に人間1に対して、ペット1しか乗せられないこと。
一人っ子気質で、誰とも仲良くできないこと。
母を独占できないとトイレを失敗したりする
そんな(みゅう)に今回、本当に母を独占できる状況を作ってあげたいので、母の元に残します。
私の母は、じっとして時間を消費することがとにかく嫌な人で、暇さえあれば、庭の手入れをしたり、家の掃除をしたり、今回怪我でおやすみいただいていますが、パートで月80時間ほど働いてもおります。
ですが、今回の怪我で少しゆっくり過ごす時間が、自身の健康にも繋がることを理解してもらい、1人間と一猫で、緩やかに流れる時間の良さを知ってもらえたらいいなと思います。
そうはいっても、
「自分で飼った猫を手放すんだからね。今後は休み休み過ごし、身体を休めることもしてくれないとダメだよ!」
とキツめに言っておきました。
猫と過ごす時間は、プライスレスなのです。
我が家はシニア年齢ばかりで五猫になります。悟りを開いたように次々と後輩を受け入れてくれる先住猫、特に長ニャン坊のクロにはご苦労をかけっぱなしです。
たくさんたくさん、これからも全ニャンに愛情を注ぎたいと思います。
みゃあとの出会いに関しては数行しかなかったですね・・・
猫との出会いあるあるかもしれませんが、保健所に居た猫氏の中で、猛烈アピールをしていた”みゃあ”と、その姉妹であるが、生きる希望を放棄したかのような”みゅう”の二猫を迎え入れたという事だったみたいです。
縁があって、迎え入れるようになった、みゃあ。
引き続き、四猫と共に、よろしくお願いします。